http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55353
大分に生まれて大分から出たことない自分です(ネタとしては四国から海外と呼ぶことにしている)が、片親で裕福ではなかったけど、尊敬する兄が優秀で国立大に進学したので大学進学という道は知っていた。でもそれをしなかった。中学生ぐらいでそういう選択をした。
それでも、工業高校から建築設計という道を選んだ時に後悔は大きくて、、、それは建築は学問だと知ったから。長らくそのコンプレックスの中で建築に向き合った。いまもまだ抜け切れていないと思うが、それも一つのエネルギーだったと思える。まだ何もなしえていないので言う価値はないが。
生まれた場所とか、親とか、環境を嘆いたところで、何かが変わるわけではない。これは磯崎さんからズバリと言われたことで気が付いた。大分に生まれて大分に生きていたから、廻りの皆さんの助力が得られて、運良く偉大な建築家である磯崎さんに直接会う機会が得られて気付くこともあったわけで、ここにいて良かったと思うことは少なくない。特に建築を造るうえで、ロケーションの豊富さは最高に良い。しかも22条地域もほとんどないし(←建築関係者のみ分かる)
無かった未来を想像するよりも、今ある状況を見たほうがいい。
それでも、時々、高校生ぐらいの子供から相談を受けることもあったが、必ず、家庭環境が許すなら大学に行き建築を学び、そこで共有できる仲間を持った方がいいとアドバイスをする。
一方で大学生には、学生のうちは造れないからジレンマだねとも言う。
持って生まれる才能なんてない。そこで培って形成されるものだ。場所も親も。親が裕福ならその状況を利用することも才能ということも言える。それがないならそれを利用するのも才能だ。
不遇な子供時代を嘆くより、大人になった今を選べる力をつけて行きたい。自分は変えられる。