その問題のややこしいところは、内在化されていることが多いことだ。つまり「何が問題なのか?」が明確でないことが多い。
建築家はその問題の本質を考えて、解決策を考えるのが仕事であると思っている。
ただし、それには建築を造ること在りきになっていて、結局、建築を目的としているのではないか?と思うこともある(言い回しがややこしいのだが)
建築家は構築者でもある。
モノゴトの在り方を整理したり、新たなデザインを生んだり、社会の仕組みを問い直したりと関係性を構築することが、建築設計の思考にはある。
ふと、難しいことを考えているものだと思う。
そうなのだ、建築はとても難しいものなのだ。いくら簡単に考えようとしても、複雑多岐にわたる関係より導かれ、事の解決を図らなければいけない。
建築を造るうえで簡単なことなどない。
しかし、世の中は難しいことの簡略化を図りがちである。
生産性の向上、安全性の確保、幸せな未来に向かって、トライ&エラーを繰りかえすことで簡単な手続きをもとめてしまう。
理解のないまま得られる建築に、本当の意味でなしうる姿はあるのだろうか?
難しいからと言って、考えることを放棄して未来につながるのだろうか?
今そこに在る建築がどうやってできているのかを知らないことは幸せなんだろうか?
社会の教育に建築の知識は必要だと思う。
小さな問題を重ねていくと、そこが最も大きな問題のように思えてきた。
建築は難しい。
だからこそ。
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