なんて当たり前のことなんだと思いつつ、さほど歩いていないことに気づく。
大分市美術館の秋の企画に向けて、先日、街を歩いた。何キロぐらい歩いたんだろう?5キロぐらいだろうか?
何かを探しながら歩いた。その何かは決まっていない。発見を探していた。見つかったのだろうか?歩き終わってもわからない。
歩いたところを思い返してみる。歩いてて何が楽しかったんだろう?
道路に沿って平面移動をしながら、建物に入り階段を上がる、そこから街を見下ろす。立体的な空間体験は面白かった。これは街が立体的に認識されなくなったということでもあり、衰退の傾向なのかもしれない。
視覚的に嗅覚的に聴覚的に様々なものが飛び込んでくる楽しさがある。これは自分の意図しない偶然の出会いの楽しみなのかもしれない。ツイッターやFBなど自らの好みで構築される情報の飛び込み方とは違う。出会いがある。もちろんよしわるしだ。
人がいることがそもそも楽しい。人が人を呼ぶことは街の基本なのではないかと思う。
こういった楽しさを改めて考えないといけないことが、現状を物語っているのかもしれない。楽しむことに分析はいらないのだろうけど、現状はそうはいかない。
大分の中心地。若者の誇りでも会ったPARCOはなくなった。跡地利用の計画も白紙になり、しかも行政が買おうとしている。かなり危険だ。同じく商業施設のフォーラスも解体が始まっている。別の商業施設の建築の計画はあるが、果たしてどうなるだろう。
状況に身を任せることは必要だけれども、未来は自分たちでつくるもの。
僕らに何ができるのだろうか?
いつまでもシニカルに批判だけをしていても何も生まない。生む側にいることを認識して行動したい。
考えよう。
【関連する記事】